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東京高等裁判所 昭和34年(ナ)3号 判決 1960年3月10日

原告 小野清治郎

被告 長野県選挙管理委員会

主文

昭和三四年四月二三日施行の長野県議会議員一般選挙における長野市区の当選の効力に関する原告の異議申立について、被告委員会が同年七月一三日附でした決定を取消す。

右選挙における広田寛二の当選を無効とする。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告代表者は請求棄却の判決を求めた。

原告訴訟代理人は、請求の原因として、

一、原告は、昭和三四年四月二三日施行の長野県議会議員の一般選挙に長野市区から立候補したものであるところ、その選挙の選挙会において、同区候補者広田寛二は六六二四票の得票を以て当選、原告は六五九九票の得票を以て次点と決定され、同月二六日その旨所轄選挙管理委員会から告示された。原告は同月三〇日右決定に対し、被告委員会に異議の申立をしたが、被告委員会は同年七月一三日異議棄却の決定をし、その決定書に同月一八日原告に交付された。而して、被告のした右決定の理由とするところは、後記三、(五)(1)(2)の通りの理由により、後記原告が無効と主張する投票九四票は、広田寛二に対する投票として有効であるというに在るものである。

二、右選挙において、広田寛二の右六六二四票の得票中には、広田寛一又はかんいち等と記載し、広田寛一に対する投票を意味するものが九四票が含まれていた。

三、ところで、右九四票は、次の理由によつて無効と認めるべきものである。

(一)、広田寛一は、広田寛二の実兄で、昭和三四年四月三〇日施行の長野市議会議員選挙に立候補中の者であつた。従つて、広田寛一と記載された投票は、実在の人物に対する投票と認めるべきで、公職選挙法第六八条第一項第二号の公職の候補者でないものの氏名を記載した場合に該当し、当然無効である。

(二)、広田寛一と記載した投票を以て、寛一と寛二とを同一人と考え、寛二と記載すべきところを誤つて寛一と記載したものすなわち誤記と断ずることはできない。けだし、右のように広田寛一が市議会議員選挙に立候補している以上、投票者が、本件選挙を、前記市議会議員選挙と誤つて、市議会議員候補者広田寛一に投票したもの、すなわち、混記と考えられるからである。現に本件選挙の投票中には、前記市議会議員選挙の候補者渡辺仁兵衛、小山貞雄、山岸大、塚田之安、内堀喜一郎等に対する投票が三四四票あり、なお、本件選挙と同日に施行された長野県知事選挙の候補者西沢権一郎に対する投票が四八五票があつたもので、この事実によつても、選挙を間違えた投票者が相当数あつたことは明かである。故に右広田寛一に対する投票を意味する投票は、仮りに、右混記ではないとしても、少くとも、右誤記か混記か、換言すれば人を間違えたか選挙を間違えたか不明のものである。

(三)、なお、次の各事実に照しても、前記九四票は、前記の誤記であると判定することはできないものである。

1、広田寛二は県議会議員を一期つとめ、本件選挙はいわゆる連続立候補である。一方広田寛一は、寛二の兄であるが、市議会議員にもなかなか当選しない者であることは周知の事実である。

2、広田寛一が市議会議員に立候補したのは今回が初めてではない。かつ、広田寛一と同寛二とは、住所も相当離れている。

3、広田寛一は保守系であるのに、広田寛二は社会党に属している。

4、広田寛一は興行師であり、広田寛二は土建業である。

(四)、もし「寛一」と記載した投票を寛二に対する有効投票とするならば「寛二」と記載した投票中にも、「寛一」と書くべきところを誤つて「寛二」と記載した投票のあることも想定することができ、しかも、「寛二」と記載されたものは、「寛二」と記載されているがために寛二に対する有効投票とされているのであるから、寛二は、二人分の得票を獲得し得ることになり、他の候補者に比し、有利となる。また、もし、「寛一」と記載した投票を寛二に対する有効投票とする見解をとるならば、本件選挙の投票日に、他の候補者は選挙運動をすることができないのに、広田寛二候補者だけは、市議会議員候補者広田寛一の選挙運動が行われていることにより、有利な効果を受けることになり、不当に有利な地位に立つことになる。

(五)、被告は、(1)、広田寛二あての郵便物の宛名が往々「広田寛一」と誤り記載されていること。(2)、本件選挙の期日と前記市議会議員選挙の期日との間が一週間あり選挙民はこれら両選挙の区別を十分に自覚していたものと認めるべきである、との理由の下に、「寛一」と記載した投票は「寛二」と記載すべきものの誤記であると認定した。

しかし、右(1)のように、読音の全く相違する「寛一」が「寛二」と往々誤記されることは、一面寛一が有名人であることを示すものであるから、「寛一」と記載された投票は、かゝる有名人である広田寛一に対する投票と解すべきである。また、(2)のように、本件選挙と前記市議会議員選挙との間に七日の間隔があつたことも、実際において、本件選挙の投票中に右市議会議員選挙の候補者に対する投票が多数入つていたという前述の事実に照して、誤記と断ずる理由にならない。

(六)、本件選挙において、広田寛一を意味する記載の投票が二七〇票あり、その内一七六票は無効とされ、九四票のみが有効と判定されたのである。同一の選挙において、同一の記載の投票を一部は有効とし、他は無効とすることは不法である。選挙会において、有効か無効かいずれかに統一して判定すべきである。しかるにこれを不統一のまゝ当選人を決定したことは、投票の効力を誤つたものである。そして、かかる場合、判定不統一として全部を無効とするか、または、無効の判定が多かつたのであるから、有効と判定された九四票もまた無効に統一判定しなおした上で、当選人を決定すべきである。

四、以上の次第であるから、被告が、広田寛二に対する投票として有効と認めた前記九四票は、無効であるから、この九四票を広田寛二の得票から控除すれば、同人の得票は原告の得票よりも少くなり、同人の当選は無効となるのである。

五、よつて、被告のした異議棄却の決定を取消し、広田寛二の当選を無効とする旨の判決を求めるため、本訴請求に及んだ

と陳述した。

被告代表者は答弁として、

一、原告が昭和三四年四月二三日施行の長野県議会議員の一般選挙に長野市区から立候補したものであること、その選挙会において、同区候補者広田寛二が六六二四票の得票を以て当選、原告は六五九九票の得票を以て次点、と決定され、同月二六日その旨所轄選挙管理委員会から告示されたこと、原告は同月三〇日右決定に対し被告委員会に異議の申立をしたが、被告委員会は、同年七月一三日異議棄却の決定をし、その決定書は、同月一八日原告に交付されたこと、以上はすべて認める。

二、原告主張二の事実は認める。なお、原告主張の九四票の投票があつたのは、第一、第二、第三の開票区である。

三、原告主張三、(一)のうち、広田寛一が広田寛二の兄で、昭和三四年四月三〇日施行の長野市議会議員選挙に立候補したこと、同(二)のうち、本件選挙の投票中に、前記市議会議員選挙の候補者渡辺仁兵衛、小山貞雄、山岸大、塚田之安及び内堀喜一郎等に対する投票が三四四票、本件選挙と同日に施行された長野県知事選挙の候補者西沢権一郎に対する投票が四八五票あつたこと、同(三)のうち1及び3の事実及び広田寛二の職業が土建業であること、同(六)のうち、本件選挙において広田寛一を意味する記載の投票は全部で二七〇票あつたところ、そのうち一七六票は無効とされ、九四票だけが有効とされたものであること、以上はいずれも認める。広田寛一の職業は興行あつせん業である。

四、本件九四票の投票が無効であるとの原告の主張はすべてこれを争う。原告主張(三)の123の事実は、広田寛一が著名の士であることを主張する趣旨にも見られるが、同人が著名の士であることはこれを争う。

五(一)、広田寛二は県議会議員という公職関係から著名な人であつて、市議会議員候補者であるに過ぎない広田寛一とは著名の度において比較にならない。一般選挙人の間では、その名が寛一であるか寛二であるかは、深く関心を寄せられていないのが実情である。

(二)、一般選挙人は、昭和三四年四月二三日施行の選挙が県議会議員選挙であることを、選挙執行機関及び各種報道機関の啓発報道ならびに各候補者の選挙運動等により十分に認識の上投票したものと認めるべきであるる。ことに、右本件選挙と、長野市議会議員選挙との間には七日の間隔があつたのであるから、一般選挙人がこの両選挙を区別して認識したであろうことは、両選挙が同日に行われるいわゆる同時選挙の場合とは比較にならないはずである。

以上のところから考え、本件選挙に現われた広田寛一なる投票は、これを著名な県議会議員候補者広田寛二に対する投票と認めるべきことは容易であるとともに、反対に、市議会議員候補者広田寛一に対する投票と認めることは困難であるというべきである。

なお、右(一)の如く、県議会議員候補者広田寛二の名の一部が、一般の人から深く関心をもたれていなかつたことは次の事実からも看取できる。すなわち、広田寛二宛ての通信文書中にはその発信者が社会的地位が高くく、かつ、広田寛二と極めて親密な間柄にある者でも、同人の氏は正確に認識していても名の一部を誤記している例が少くなく、被告委員会でしゆう集した範囲でも、別表の通り多数に及ぶものである。

六、以上の次第で、原告の本訴請求は失当である。

と述べた。

(立証省略)

理由

原告は、昭和三四年四月二三日施行の長野県議会議員の一般選挙(本件選挙)に長野市区から立候補したものであること、その選挙の選挙会において、同区候補者広田寛二は六六二四票の得票を以て当選、原告は六五九九票の得票を以て次点と決定され、同月二六日その旨所轄選挙管理委員会から告示されたこと、原告は同月三〇日右決定に対し、被告委員会に異議の申立をしたが、被告委員会は同年七月一三日右異議棄却の決定をし、その決定書は同月一八日原告に送達されたこと、本件選挙において、広田寛二の得票とされた六六二四票の中には、「広田寛一」に対する投票を意味さるものが九四票が含まれていたこと、以上はいずれも当事者間に争いなく、また、被告委員会の前記決定は、右九四票は、いずれも広田寛二の氏名を誤記したものと認めるべく、同人の得票として有効であるから異議は理由がないというにあつたことは被告の明らかに争わないところである。

よつて、前記「広田寛一」に対する投票を意味する九四票が、広田寛二に対する投票として有効であるかどうかを判断する。

(一)、成立に争いのない乙第一ないし一八号証の各一、二、同第一九号証の一、二、三、同第二〇号証、同第二一一、二二号証の各一、二、三同第二三ないし二六号証の各一、二同第二七、二八号証、同第二九号証の一、二同第三〇ないし三二号証の各一、二、三、同第三三号証、同第三四号証の一、二、同第三六号証、同第三七号証の一、二、同第三八、三九号証及び同第四〇号証の一、二、と証人広田寛二の証言を綜合すると、広田寛二宛の通信文書中には同人の氏名を広田寛一と誤記されることが日常少くない事実が認められ(被告は、乙第三五号証をも、右誤記の一例の証拠として提出しているが、同証中広田寛二の氏名の漢字は「広田寛一」となつているが、その振り仮名は、明かに「ひろたかんじ」となつているのであつて、漢字の方は、単に活字を誤植したに過ぎないものと見られないわけでもないから、これを以て、直ちに被告主張の誤記の一例とはなしがたい。)、従つて選挙の投票に当つて、広田寛二の名を誤つて広田寛一と記載したものもあつたことは推認されないわけではなく、

(二)、本件選挙で、昭和三四年四月三〇日施行の長野市議会議員選挙の候補者の氏名を記載した投票が、広田寛一以外の候補者の氏名を記載したものは合計で三四四票であるのに、広田寛一の氏名を記載したものは二七〇票あつたことは当事者間に争いなく、かつ、成立に争いのない甲第五号証によると、広田寛一以外の候補者の分は、候補者一人につき数票ないし数十票に過ぎないことが認められるから、ひとり広田寛一の分だけが、群を抜いて多かつたことになるわけで、このような結果を生じたことにつき、特別の原因があつたことの証拠もない本件としては、前記(一)の事実をも併せ考え、右「広田寛一」と記載した投票中に、広田寛二に投票する意思を以て誤つて広田寛一と記載したものもあつたことを推認せしめるものというべきである。

(三)、しかしながら、以上はいずれも、「広田寛一」に対する投票を意味するものの中には広田寛二に投票する意思を以て広田寛一と誤記したものもあることを推認せしめるに止まるのであつて、これら投票の全部が、広田寛二に対する右のような投票であると断定せしめるものではない。

被告は、本件選挙と長野市議会議員選挙とは投票日に一週間の間隔があり、かつ、選挙執行機関及び各種報道機関の啓発報道ならびに各候補者の選挙運動により、右両選挙の区別は一般選挙人の間に徹底していたものであるから、選挙人が投票に当り、右両選挙を混同したということはあり得ないものの如く主張するが、選挙人一般の現今の状況に鑑み、かつ、後記(六)の事実に鑑み、被告の右主張は到底採用し難い。

以上の外、本件九四票の投票が、広田寛二に投票する意思を以て、同人の氏名を誤記したものであると認めるべき証拠はない。却つて、

(四)、広田寛一は広田寛二の兄で実在の人物であること及び寛一は従来何回か長野市議会議員選挙に立候補したことがあり、昭和三四年四月三〇日施行の同議員選挙にも立候補していたものであることは、いずれも当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない甲第二号証、証人臼井朋延、同小山貞雄の各証言を綜合すると、広田寛一は、右昭和三四年四月三〇日の長野市議会議員選挙には居町である同市大字南長野県町の町内から特に熱烈な支持をうけ、今回こそは当選しようとの意気込みに燃えて選挙運動に熱中していたものであること、また、広田寛一と同寛二とは、かつては何回か兄弟揃つて長野市議会議員選挙に立候補し、その都度弟寛二は当選するが兄寛一は落選するという意味で長野市民の間には相当有名になつていたものであること、を認めることができる。して見れば、広田寛一は長野市では相当に名を知られていた者で、特に広田寛一の住所たる同市県町及びその附近では、その程度が高かつた者であることを推認することができる。

(五)、広田寛一は長野市議会議員選挙に何回も立候補したが一回も当選したことがないのに、広田寛二は同議員にも当選し、その後長野県議会議員にも当選して一期をつとめ、本件選挙は、それに続いて立候補したいわゆる連続立候補であつたこと、寛一は保守系であるのに寛二は社会党員であること、寛一は興行関係の職業に従事しているのに寛二は土建業者であること、以上はいずれも当事者間に争いなく、また、成立に争いのない甲第二、三号証に証人臼井朋延、同広田寛二の各証言を綜合すると、寛一の住所は長野市大字南長野県町四六二番地であり、寛二の住所は同市同大字南石堂町一二二六番地イ号一三で、その間二ないし四キロメートルの距離があることを認められる。そうだとすれば、前記(四)の事実とも相待つて、広田寛一と同寛二とが別人であることの識別は、長野市民の間には、相当に普及していたものと推認することができる。

(六)、本件選挙の投票中に、昭和三四年四月三〇日施行の長野市議会議員選挙の候補者で広田寛一以外の者の氏名を記載したものが三四四票あり、なお、本件選挙と同時に行われた長野県知事選挙の候補者西沢権一郎の氏名を記載したものが四八五票あつたことは当事者間に争いがない。そしてこの事実に徴すれば、選挙人の中にはは、本件選挙と右長野県知事の選挙だけでなく、長野市議会議員選挙とも、混同していた者が相当数あつたこはこれを否定し得ない。

なお、いずれも成立に争いのない甲第一号証、同第四号証、同第六号証の一、二及び同第七号証を綜合すると、本件選挙及び前記長野市議会議員選挙とも、その開票区は第一から第七まであつたが、本件選挙で広田寛一に対する投票を意味する投票の最も多かつたのは第一開票区で、その数は七四票に及んだが、他の開票区ではいずれも四八票以下であつたこと、第一開票区は、広田寛一の居住する県町を含み、かつ、同人の前記市議会議員選挙の総得票九六〇票の内三六二票は第一開票区の得票で、他の開票区での得票はいずれもそれより遥かに少なかつたこと、換言すれば、右市議会議員選挙において、第一開票区は、広田寛一を支持した者が最も多かつたこと、一方広田寛二の居住する南石堂町は第四開票区に属していたこと、(なお、本件選挙における広田寛二の得票は、第一開票区では一三一二票で、七開票区の中で第二位であつた。)以上の各事実を認めることができる。ところで、このように、広田寛一の居町をその中に含み、同人の最も有力な地盤と目され、従つて同人に関する個人識別も最もよく普及していたと推認すべき第一開票区で、問題の「広田寛一」に対する投票を意味する投票が全市で二七〇票のうち七四票の多きを占めたということは、選挙人の中に、本件選挙と前記市議会議員選挙とを混同した者が相当数あつたという前記の認定を一層強くするものというべきである。

すなわち、右(四)ないし(六)に考察したところを綜合すると、本件九四票の投票が、すべて広田寛一に投票する意思で同人の氏名を記載したものであると断定するには足らないけれども、その中に、そうした投票が相当数含まれていたであろうことは、これを否定し得ないところである。

以上の次第で、「広田寛一」に対する投票を意味する九四票は、これをすべて実在の人広田寛一に投票する意思を以て同人の氏名を記載したものと断定することはできないが、その中に、そうしたものが相当数含まれていたことはこれを疑う余地がなく、逆に、広田寛二に投票する意思を以て、その氏名を広田寛一と誤記したものも何ほどかあつたことはこれまた否定し得ないけれども、九四票全部がそうした投票であると断定することもできない。なお、この九四票のうち、どれが広田寛一に投票する意思で同人の氏名を記載したもので、どれが広田寛二に投票する意思でその氏名を誤記したものであるかを判定すべき資料も全く存在しない。そうだとすれば、右九四票は、結局広田寛一に対する投票か広田寛二に対する投票かを判定し得ないもので、これを以て広田寛二に対する有効な投票となすことを得ないものである。

然り而して、冒頭認定の広田寛二の得票六六二四票から右の九四票を差引くと六五三〇票となり、次点である原告の得票六五九九票よりも六九票少くなるから、選挙の結果に異動を生ずることは明かで原告の本訴請求は理由がある。

よつて、爾余の争点に関する判断を省略し、民事訴訟法第八九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 内田護文 鈴木禎次郎 入山実)

(別紙省略)

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